嶋 理人(Shima Rihito)
@bokukoui
鉄道趣味が嵩じて近代日本史の研究者になってしまいました。電鉄や電力、生活文化などの歴史に関心があります。普遍なるもの(世界精神のかけら)に敬意を持っていきたいと思っています。これまでネットでは「墨東公安委員会」のHNで活動していました。ツイッターの現状に鑑み、当面ミラーとして運用します。
イオンモール熊本の爆発事故で死者を出したことで話題の雑貨店・ハビタ、大学の向かいのゆめマート大江へ行ったら、臨時休業しておりました。トップが愚かだと、部下は振り回されて大変です。
その後の熊本電気軌道は、バスの進出に苦しみ、対抗策として自社でもバスをはじめ、周辺のバス事業者を吸収していきます。営業報告書の記述を信じれば、大川が買収費用を出してくれたようです。そしてなんと、八代を越えて日奈久まで、バス路線は伸びました。図は営業報告書に載っていた路線図です。 こうして大川の野望は、電車はできませんでしたがバスでは実現……と思いきや、日中戦争でバスはガソリン不足に陥り、結局1943年の九州産業交通成立で同社に譲渡されてしまいます。電車も戦後に市に吸収され、熊本電気軌道は消滅してしまいました。金主の大川も1936年に亡くなったので、存続は難しかったでしょうが。
川尻までに短縮された路線は1926年開業、翌年河原町~川尻が全通しています。もとの百貫線と川尻線に接続はなく、そもそも軌間が百貫線1067ミリと川尻線1435ミリ(熊本市電に合わせた)と違うので、車両の共有もできませんでした。どっちもボギー車ではなく4輪単車だったみたいですね。
ここで思い出してほしいのが、1924年に大川はいまの日本製紙八代工場のもとになった工場を開業したということです。熊本~八代線出願の1923年ごろは、建設工事で忙しかったことでしょう。私の確信的推測では、大川は自分の新工場から熊本まで、電車で行き来できるようにしようとしたのです。 これを示唆する傍証が、熊本電気軌道の営業報告書に残されています。熊本市から東の郊外へ延びる電車を経営している会社(のちには南の隣町までの路線も)なら、株主総会は熊本市でやるのが良さそうなのに、なぜか八代市の九州製紙の工場、つまり今回被災したあの工場でやっていたのです。
大川はこの間、富士製紙や樺太工業の経営(会社としては九州製紙よりでかい)もするなど多忙だったはずですが、熊本でもいろいろな事業を展開していました。すでに1917年には、製紙工場の動力を求めて、緑川電力という水力発電会社を設立し、社長を務めています。 大川は渋沢系ですが、財界では浅野総一郎とも関係が深かったそうです。浅野といえばセメントはじめさまざまな事業を展開しましたが、東京湾の埋立も有名です。埋め立てた土地に新たな地名をつける際、浅野はその一角に大川の名を付けました。今でも鶴見線に大川駅があります(画像はウィキペディアより拝借)
今回の震災で大きな被害を受けた日本製紙の八代工場は、系譜をたどれば1895年の東肥製紙に行きつきます。この会社は主に熊本の人が中心となって設立しましたが、経営がうまくいかず破綻してしまいます。そこへ再建者として登場したのが、渋沢栄一の縁者である大川平三郎でした。 大川の写真は、国会図書館のサイト「日本人の肖像」からの借り物です。 大川は若い日に日本最初の近代製紙会社・王子製紙に入り、製紙技術者として出世しました。ところが三井が王子の支配権を握ろうとして、共同設立者の渋沢を追い出したので、大川もそれに殉じて王子をやめました。
私はこれらのツイートを見て、職業的直観から鈴木田氏のツイートを検索してみました。案の定。南京事件を否定する歴史修正主義者でした。自己中心的な思い込みを、しかるべき論拠のあることよりも「正しい」と思い込んでしまう上に、アジア人に対する差別的偏見を持っている人物といわざるを得ません。 x.com/aikyousinbun... x.com/aikyousinbun...
熊本の地震で崩れた研究室の本を片付けているうちに発見した重複本、濱貴子『職業婦人の歴史社会学』光洋書房(2022)と将基面貴巳『従順さのどこがいけないのか』ちくまプリマ―新書(2021)をご所望の方に差し上げます。欲しい方はご住所とお名前を私までお送りください。先約があった場合はご容赦。
いろいろあって先延ばしになっていた研究室の片づけをやっとしました。私の研究室は長方形で三辺に本棚があるのですが、揺れの方向がよかったのか、長辺二辺の本棚は中の本がほとんどそのままで、短辺一辺の本棚から主に雑誌類が飛び出したくらいでした。まあ、テーブル上の積読本は崩落しましたが… 恐れていたのは、社史などの大物が落っこちることでしたが、これは重さがかえってよかったのか、何ともありませんでした。短辺の本棚に仕舞ってあった『日本国有鉄道百年史』や『鉄道百五十年史』も無事でした。なお、3枚目の写真にホワイトボードの字は、当時年長だった息子が書いたものです。
熊本県民カレッジ・パレアオリジナルという講座で、7月21日「熊本の電車と消えた路線」という話をしました。熊本電気軌道中心という渋い話でしたが、それなりに受けたようです(と思いたい)。もしご関心のある方がおられましたら、配布資料のデータをお送りします。メアドをDMなどでお寄せください。
謎の情熱で「文系学問」を攻撃している例。人文学がゴミだとして、社会科学はどうなるのでしょうか。さらに真っ先にやり玉に挙げている教育学はまた別の学問で、一般的に人文社会系とは別の大学院が設置されています。つまり文系のことを碌に分からず攻撃しているわけで、まあそんなもんでしょう。 このネットで流行りの文系叩き、どうして起こるんでしょうね。その割に日本の理系進学率が近年(ネットの影響力が増してから)上がっているという話もあまり聞きません。私の恩師によると、「日本人の理系離れ」というけれど、日本人が挙って理系に進んだのは戦時中だけ、なんだそうですが。
熊本の桜町バスターミナルに入っているファミリーマートは、ナフサ不足の世相にいち早く呼応し、店の看板のロゴがモノトーンになっております。
このところイカが不漁だそうで、スーパーでもあまり見かけませんでしたが、たまたま小ぶりとはいえヤリイカのパックを見付けたのでつい買ってしまい、イカ飯を作りました。可愛らしいイカ飯ですが、久々なので嬉しいです。さて、味の方は……
ナヲコ先生謹作のマスキングテープ、ようやくものが届いて喜んだものの、可愛いものと縁のない無粋な暮らし故に貼るところがなくてしばし悩みました。結局、中断中の日記帳の空白を埋めるために貼ってみました。とてもかわいい(語彙喪失)。これを機に心機一転、また日記付けてみますかね。
以下は印象論ですが、参加車はポルシェこそとても多いものの、メルセデス・ベンツなど他のドイツ車はそれほど多くなく、往時最強のはずのアメ車もシボレー・コルヴェットなどが多少いたくらいで、意外と多かったのがイギリス車でした。MGにトライアンフに……イギリス車がダメになる前の古き良き時代。 日本車はさすがにまだ発展途上の時代のせいか多くはありませんでしたが、トヨタ2000GTや800だとか、あるいはスバル360、日産のシルビアなど有名どころが出走していました。1台の2000GTのナンバーが「品川5」で驚きましたが、ナンバーでは「岐5」(岐阜じゃない!)のメルセデス190SLがMVCでした。
日曜日、「GO!GO!ラリーin熊本2026」というイベントがあって、クラシックカーがいっぱい見られそうだというので、車好きの息子に見せてやろうとゴール地点の花畑広場に行きました。100代以上のクラシックカー(1974年以前製造)が見られて眼福でしたが、さて一番多かったメーカーはどこでしょう? 出走車リストがあったり、メモして数えたわけじゃありませんが、明らかに圧倒的に多かったのはポルシェでした。356を中心に、古い911もかなりあり、オープンカー仕様も。このイベントの主催者だという俳優の唐沢寿明氏も、1954年のポルシェ356で参加されてましたね(写真撮り損ねた)
というわけで今日作ったスパニッシュオムレツなど。もともとの陸軍式の時から、ひき肉と玉ねぎの他ジャガイモがうちでは入っていたので、食べではありました。
念のため、確かに日本で消費されるパプリカの多くは韓国産ですが、輸入量は米津玄師の「パプリカ」が2018年に発表されてから「減っています」。消費量は減っていないようなので、国内生産が伸びたということではないでしょうか。あの歌は農家を日本のパプリカ農家を奮起させた、という方が近そうです。 先のツイートのパプリカ輸入量のグラフは、独立行政法人・農畜産業振興機構のサイトから拝借しました。直接はメキシコからのパプリカ輸入の可能性について述べた文章です。 vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/ka...
子供がクッキー作りたいというので富澤商店に行ったら、「エクリチュール」という名前の製菓用薄力粉があって、日清製粉はどういうセンスで製品名をつけているのかと首をひねりました。なお姉妹品に、パン用強力粉「パロール」があって……というわけでは残念ながらないようです。
今日は子供の小学校の入学式だったので、柄にもなくスーツにネクタイで参列しましたが、ネクタイの柄を「くまモン」にして地元愛をアピールしてみました。誰しも熊本で買ったと思うでしょうが実はこれ、熊本行く前に岩本町・東神田ファミリーバザールで買い込んだもので、当時は将来熊本に住むとは思いもしませんでした。 岩本町・東神田ファミリーバザールとは、秋葉原のすぐ東のこの辺は、江戸時代は古着を扱う商人が集まっていたという歴史から、衣料品の問屋などが多く、それが年に数回露店を出して一般向けの売り出しをやり、それにいろんな店も便乗して、たいそう賑わう楽しいイベントです。 www.family-bazar.com
息子が「おさるのジョージ」が好きなのですが、そのため作中に出てくるピスゲッティシェフの「ミートボールサンド」を食べたいと言い出して聞かないため、見よう見まねで何とか作りました。息子用のチーズ入りバージョンと自分用のチーズなしの二種類。
先日「サンライズ出雲」乗りに出雲市まで行ったら、「ばけばけ」便乗商品でお土産コーナーが賑わってましたが、そこで怪談ネタで誰しも思いつきそうだけどやらなさそうな商品を見つけてつい買ってしまいました。題して 「ほういちの耳まんぢう」 開けてみると、あんまり形はリアルじゃないですが、リアルでも始末に困るといわれればその通りです。 食べてみると、白あんが上品でそれなりに美味しいですが、もし普通のあんこだったら、それはそれで齧った断面が……
来週の月曜日(30日)、熊本学園大学で「地域モビリティ共創研究のこれまでとこれから」と題した研究報告会が開催されます。熊本の交通にご関心のある方はぜひどうぞ。詳細はフライヤーをご参照ください。申し込みが急な話ですみませんが、今日までとなっておりますのでご注意ください。 さらに研究報告会に引き続きまして、「くまもと交通連合の実現に向けた課題と展望」という勉強会も開催されます。こちらも詳細はフライヤーをご参照ください。申し込みはやはり今日中ということですみません。
昨日のダイヤ改正当日、私は学会のため大阪まで新幹線でとんぼ返りしてきました。その際の切符はダイヤ改正前日に買ったので、昨日のダイヤ改正で消滅した「往復(割引)乗車券」でした(「復割」と印字してます)。けっこうお得な制度だったのに、なくなって寂しい思いがします。 私は長らく横浜に住んでいましたが、両親の実家が和歌山なので、子供の頃は夏休みに帰省していました。その際に横浜市内~和歌山間だと微妙に片道600キロに届かないので、ちょっと先の海南まで切符を買っていたのを懐かしく思い出します。あの頃の海南には野上電鉄があった。
幼稚園年長のうちの息子が、ホワイトデーを期しておともだちにクッキーを配りたいと言い出し、しかし14日は土曜なので13日に配るべく、本日私がクッキーを作る羽目になりました。コーンフレークを周りにつけたチーズクッキーです。
昨日は息子の6歳の誕生日でした。 6年間、早かった気もしますが、この先はまだまだ長いです。いろんな可能性があるので、早くから決めつけたくはないのですが、今の世相(選挙情勢)を思うに、やはり理系に進んでほしいと願わずにはいられません。 理系は徴兵猶予があるのです。
不正行為自体はもちろん理由がどうあれ悪いことですが、そのニュースを排外主義に結びつけている徒輩が散見され、膏薬と民族差別はどこにでもくっつくと嘆息せざるを得ません。たかが7人の不正行為をした受験生より、こういう偏見と憎悪に満ちた世界観の大人が溢れかえっている方が、日本の問題です。
江戸時代までの製糸法は、ドラえもんが手にしている道具を片手に持ち、もう一方の手で繭を煮ている鍋から糸を取って、この道具に巻き取るものでした。手挽といいます。これを江戸時代後期に改良したのが座繰りで、糸を巻き取る枠を円盤から紐で繋いで回転させ、巻き取り速度を上げて効率化しました。
正月なので妻の実家にお伺いし、うちの子もいとこたちに遊んでもらってましたが、そのうち「どこでもドラえもん日本旅行ゲーム」というのを始めました。遊びながら地理や歴史が学べるのが売りみたいですが、「富岡製糸場」のカードを見て苦笑。ドラえもんが手にしているのは、原始的な手挽の道具です。
ナヲコ先生が FANBOX でもご活動を盛んにされている喜ばしい年末です。私は先生の今年の作品をコミックシーモアで買いましたが、ふと並べてみると医療系マンガが多いような……いや、いくら保健の先生でも、『みょーちゃん先生はかく語りき』は医療マンガじゃないか。