SHIRATO SEIICHI
@shiratoseiichi
Self Employed Setting Researcher, Story adviser /ANIME/GAME/MANGA. Born and grown up in Fukushima. Living in TOKYO. 設定考証稼業、白土晴一です。よろしくお願い致します。
1936年のナポリ湾のヴェスヴィオ火山の絵葉書を見つける。ヴェスヴィオ火山は1906年の大噴火で山頂火口が大きく崩壊。深い陥没カルデラになってしまったのですが、その後は間欠的で比較的緩やかな爆発を伴うストロンボリ式噴火が続き、火口に少しずつ溶岩や火山砕屑物が積み重なって高くなる、コネット(火口内円錐丘)という小高い円錐形の地形に。この絵葉書はそのコネットの絵葉書。1944年の大噴火でこのコネットは吹き飛んでしまったので、現在は無くなった風景として購入しました。しかし、なんというか、奇観だなぁと。
新宿のようで、住所的には実は代々木の箒銀杏天満宮。ここの銀杏は新宿周辺の数少ない推定300歳の古木。遠くから見たら、箒を逆さに立てかけたように見えたので「箒銀杏」と呼ばれたらしい。
川越周辺を取材中。2017年5月31日に正式に廃止となった西武安比奈線の線路跡を見つける。1963年年から埼玉県川越市の南大塚駅から安比奈駅を結んでいた西武鉄道の貨物線だったが、それ以前は入間川で採取した砂利の運搬する砂利線だった。今は草に埋もれているが、住宅街だとかえってそれで目立つ。
「#パリに咲くエトワール」の資料で集めた絵葉書が出てきた。 特に何年という記載はないが、おそらく1904〜1906年頃の夏の正午頃のパリ・オペラ座広場を撮影た彩色写真。 年代は裏面のレイアウトから1904〜1906年頃と推測。1903年末にフランスで裏面の通信文記載が許可された後、国際郵便の規定が統一される1906年までの間、裏面に「外国では表面(通信文欄)を認めない国がある」旨の注意書きが義務付けられている。 手前の丸いグローブの街灯が当時アーク灯であること、女性の服装、自動車ではなく馬車という点も含めて、年代は多分その辺り。
リニューアルオープンした江戸東京博物館の新展示「和洋折衷住宅」。設計・大熊喜英、1937年に改築された住宅。大正から昭和初期に流行した山小屋風。めちゃめちゃ瀟酒!
しばし、取材と締切が押し寄せてきて、ソーシャルメディアの投稿はお休みしてました。ただ、海辺で海鮮丼など食べてますので、私は元気です。
1980年に完成した時期らしいの警視庁本庁舎の絵葉書。なぜこの絵葉書を購入したかというと、この本庁舎の隣にある1933年に竣工した旧内務省庁舎を上から見た写真だったから。この角度、屋上が見えるのが珍しくて。こんな口型の中庭のある建築だったのかと。200年代に解体されて、今は中央合同庁舎第2号館になっている。いつか旧内務省が出てくる作品があったときに使おう。いや、そんな作品に関わるかはわからないが(笑
船橋市立郷土資料館で開催中の企画展「記憶を伝える―玉川旅館をめぐる人と資料―」へ。2020年に歴史に幕を閉じた創業100年の割烹旅館「玉川旅館」。太宰治が滞在し『ダス・ゲマイネ』や『狂言の神』を執筆したこともあり、その建築は国の登録有形文化財に登録されている。地域の文化側面から見た旅館という視点が面白い。旅館の調査報告を購入。
おそらく1920−30年代のベルリンの夜。意外と夜の風景を撮影した昔の写真は少ない。しかし、その年代の街灯や店頭の灯りなどがどんな感じを調べないといけないので、そういう資料をせっせと集めている。
埼玉県深谷市に出かけて、老舗和菓子屋「糸屋製菓店」の翁最中を買う。有名な「あんドーナッツ」は売り切れ、残念。糸屋は創業者の実家が糸を扱っていたからしい。たまに遠出してお菓子を買いに行くのが趣味なんです。
代々木のカンボジアフェスティバルで、ラパウ・ソンクチャーを食べる。カボチャを丸ごと1個使い、中をくり抜いてココナッツミルクのプリンを入れるスイーツ。
本日はちょっと千葉市美術館で開催中の企画展「密やかな美 小村雪岱のすべて」へ。古本好きには泉鏡花の書籍の装幀を多く行ったことでお馴染みの画家・小村雪岱。大正から昭和初期にかけて、日本画だけでなく、書籍の装幀、新聞や雑誌の挿絵、舞台装置、映画美術、商標や着物の柄のデザインまで、あらゆる仕事をこなした異能の人でもある。ただそれゆえに画壇主流からは若干評価されていなかったが、展示された作品をまとめてみるとその才能の幅の広さ、過剰さは全くないがグッとくる優れた構成は圧倒的。今ならアイディアとコンセプトを重視するマルチなクリエーターと讃えられるんだろうなぁと。
1920年代の初代ヤンキースタジアムの絵葉書。1923年に建設された当時は世界最大のベースボールスタジアムだったが、ボクシングやフットボールにも使用された。この絵葉書はおそらくカレッジフットボールの試合の写真。20年代のヤンキースは黄金期だけど、この時代にこの規模のスタジアムのあるアメリカはやっぱりすごいと思う。6万人も収容できたらしいし。
たぶん大正くらいかなと思われる絵葉書。「日本女子大学校生徒 自転車(打球)」とあるように、袴姿の女学生が自転車ポロをしている。サイクルポロは19世紀末にアイルランドが発祥、日本にも明治時代に輸入されました。女学生、自転車、袴姿、ポロという当時としてはかなり先進的なものが写っている一枚。
映画「#パリに咲くエトワール」、立川シネマシティのティーチイン上映会にご参加の皆さん、ありがとうございます!まさか誕生日の花束を谷口監督から頂くとは。よき誕生日となりました!
古洋書を購入すると、ページの間に名刺や紙幣、チラシなどが挟まっていることがある。「#パリに咲くエトワール」のために購入したフランスの古本に挟まっていた古いチラシ。1920年にフランス政府が発行した利回り6%の国債(公債)についてのチラシで、受付は大手銀行「ソシエテ・ジェネラル」。1920年は第一次世界大戦後の復興が本格化した時代なので、そのための国債かも。ページの合間にこういうのを見つけるのは、古洋書購入の楽しみの一つ。
山田勲「白い航跡 こぼれ話」を購入。戦前戦中の日本の情報活動に多くの人材を輩出した「大川塾」の五期生として、対インド工作としてチャンドラ・ボースの活動を支援・連携を行なった光機関所属だった著者の回顧録。大川塾(正式名 満鉄東亜経済調査局付属研究所)は、五・一五事件に連座して服役した大川周明が、仮出所後の1938年に設立した亜細亜調査要員養成のための学校。陸軍省、南満洲鉄道(満鉄)、外務省から資金が出され、卒業生の多くは南方軍、領事館、商社などに通訳もしくは情報要員として派遣された。情報要員養成だと陸軍中野学校は有名だが、大川塾も日本情報戦史ではとても重要だけど、いまいち知られていない。
たまにキャプションがない謎の絵葉書を見つける。この絵葉書も茅葺き屋根の土蔵っぽい建物が写っているが、なんの説明もない。こういう絵葉書を調べるのが好きで、1時間ほどあれこれ調べる。その結果、長野県柏原宿の小林一茶終焉の場所である土蔵ではないかと推測。現在の小林一茶旧宅は2度の解体保存工事がなされているが、それ以前戦前のものではないかと。ただし、あくまで推測で決定的な証拠も見つかっていない。まあ、調べたこと全てがわかるわけではない。